−愛する伴侶動物を失って苦しい時に、思い出して読んで下さい。ペットロスの癒しのために−

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天国の、ほんの少し手前に「虹の橋」と呼ばれるところがあります。
この地上にいる誰かと愛しあっていた動物は、死ぬとそこへ行くのです。
そこには草地や丘があり、彼らはみんなで走り回って遊ぶのです。
食べ物も水もたっぷりあって、お日さまはふりそそぎ、
みんな暖かくて幸せなのです。

病気だった子も年老いていた子も、みんな元気を取り戻し、
傷ついていたり不自由なからだになっていた子も、
元のからだを取り戻すのです。
・・まるで過ぎた日の夢のように。

みんな幸せで満ち足りているけれど、ひとつだけ不満があるのです。
それは自分にとっての特別な誰かさん、残してきてしまった誰かさんが
ここにいない寂しさのこと・・。

動物たちは、みんな一緒に走り回って遊んでいます。
でも、ある日・・その中の1匹が突然立ち止まり、遠くを見つめます。
その瞳はきらきら輝き、からだは喜びに震えはじめます。

突然その子はみんなから離れ、緑の草の上を走りはじめます。
速く、それは速く、飛ぶように。
あなたを見つけたのです。
あなたとあなたの友は、再会の喜びに固く抱きあいます。
そしてもう二度と離れたりはしないのです。

幸福のキスがあなたの顔に降りそそぎ、
あなたの両手は愛する友を優しく愛撫します。
そしてあなたは、信頼にあふれる友の瞳をもう一度のぞき込むのです。
あなたの人生から長い間失われていたけれど、
その心からは一日も消えたことのなかったその瞳を。

それからあなたたちは、一緒に「虹の橋」を渡っていくのです・・・

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けれど、動物たちの中には、様子の違う子もいます。
打ちのめされ、飢え、苦しみ、
誰にも愛されることのなかった子たちです。
仲間たちが1匹また1匹と、それぞれの特別な誰かさんと再会し、
橋を渡っていくのを、うらやましげに眺めているのです。
この子たちには、特別な誰かさんなどいないのです。
地上にある間、そんな人は現れなかったのです。

でもある日、彼らが遊んでいると、橋へと続く道の傍らに、
誰かが立っているのに気づきます。
その人は、そこに繰り広げられる再会を、
うらやましげに眺めているのです。
生きている間、彼は動物と暮したことがありませんでした。
そして彼は、打ちのめされ、飢え、苦しみ、
誰にも愛されなかったのです。

ぽつんとたたずむ彼に、愛されたことのない動物が近づいていきます。
どうして彼はひとりぼっちなんだろうと、不思議に思って。

そうして、愛されたことのない者同士が近づくと、
そこに奇跡が生まれるのです。
そう、彼らは一緒になるべくして生まれたのでした。
地上では巡りあうことができなかった、
特別な誰かさんと、その愛する友として。

今ついに、この「虹の橋」のたもとで、ふたつの魂は出会い、
苦痛も悲しみも消えて、友は一緒になるのです。

彼らは共に「虹の橋」を渡って行き、二度と別れることはないのです。


 
                                    ママ、もう泣かないで

大好きなママ
ぼく、虹の橋に来たよ
もうどこも痛くないよ
もう何も苦しくないよ
動物の神さまに抱かれているの

ママ、もう泣かないで
ママが泣いているとぼくも悲しいよ
ママと一緒だったあの日
あの春も、あの夏も
ぼくはいつも幸せだったよ

ママ、後悔なんかしないで
自分を責めたりしないで
「早く気づかなくてごめんなさい」
「もっとこうすればよかった」
「ああしなければよかった」
って、そんなふうに思わないで

ママ、いいことだけ思い出して
楽しかったよね、あの日
笑ったよね、あの時
ママとぼくは、幸せを与えあってたんだね

ママ、とっても寂しかったら
次の子をお迎えしてあげてね
ぼくはやきもちなんて焼かないよ
その子はぼくの代わりじゃなくて
別々に可愛いんだって
ぼく、ちゃんと知っているよ
ママとその子が楽しく過ごして
ママがもう一度笑ってくれたら
ぼくは安心してここで待っていられるの
だから笑顔で暮らしてね

ママ、もう泣かないで
ぼくはずっとママの心に住んでいるの
そしてずっと先のある日
ママと会えることを知ってるの

だから、ママ、もう泣かないで



ひとりごと。

初めて「虹の橋」をご紹介した1999年頃には、この詩は今ほどメジャーではなく、動物が亡くなったことを「虹の橋に行った」と表現する人もほとんどいませんでした。
私は自身が、胸がつぶれそうに悲しかった時にこれを知って、とても救われ、それで同じような人たちにも知ってもらえたらと思い、ネット上に載せただけのことでした。これによって何の利益も受けてはいません。雑誌にも二度載りましたが、掲載誌1冊の他は、金品を戴いてはいません。

「ママの方は、私が嘆き悲しんでいた時に、お坊さんに伺ったお話が元になっています。「したことやしなかったことを後悔しないでください。良いことや楽しかったことだけを思い出して、あなたがまた笑うのが、一番の供養なんですよ」と。
このお話には本当に救われました。
そしてまた、「"死んだ子に悪いからもう飼わない"というのも、良いことではないですよ。それでは死んだ子が悲しみます」と言われました。
最近、知り合いが犬を亡くし、お坊さんのお話を思い出して、本当に一気に作ったのがこの詩です。
私は、虹の橋では時間の流れが違うと信じています。私たちが急いでそこへ行く必要なんてないと思います。あの子達は寂しがったりしないで、遊んで待っていてくれると思っています。

「虹の橋」は、今でこそメジャーになりましたが、昔は「新興宗教の宣伝か」とか「動物が死んだことをネタに金儲けでもするのか」と言われたりもしました。
「ママは「気持ち悪い」とか「人間の勝手な妄想」などと、無記名掲示板に書かれているそうです。そう思われる方は、動物を亡くしてもこういうものが必要ない、強い心の持ち主なのでしょう。

反面、「救われた、ありがとう」というメールも本当にたくさん、数百通は戴きました。「ずっと自分を責めていましたが、初めて気持ちが楽になりました」とか「次の子を飼うとあの子が成仏できないのではと悩んでいましたが、私が楽しく暮らすことが供養の一つと知って安心しました」など、本当にたくさん戴いています。
「虹」も「ママ」も、ブログ等にもたくさん転載されてご活用いただいているようで、本当に嬉しく思います。

どんなものにも、好む人と好まない人がいるのは当然ですね。
どなたにも読めと強要するつもりは全くありませんから、お嫌いな方は、ただスルーしていただけませんか。私だって人間です。わざわざ悪く書かれるのは嬉しいはずがありません。そして、お気持ちにフィットした方が、ご自分なりに活用してくだされば、それで私は嬉しく思います(改変しての掲載はご遠慮下さい)。ここまで読んでくださってありがとうございます。 管理人いっけ

愛読者のキーマンです。実は私もワンちゃんとネコちゃんと暮らしています。この虹の橋の事をテレビドラマ番組の中で嵐の相葉君が話しているのに感動を覚え作者の人を探したどり着きました。それまで私も散歩の時や一人の時、もしこの子達とお別れの時が来たらと思うと深い悲しみの中で涙がこぼれます。最初はペットとして買ったのに気が付くといつの間にか家族になっていました。私が落ち込んでいる時にはそっと寄り添ってくれ、心配そうになめてくれたり、覗き込んでくれたり、何度救われた事かわかりません。

皆さんもそうでしょうがこの子達とのお別れは受け入れがたく、現実が巡ってくる事を納得が出来ませんでした。虹の橋と出会ってからその時が来たら何とかペットロスにならず乗り越えられるか、わかりませんが少しずつですが心ずもりをしていきたいと思うようになりました。虹の橋で会えるようにと。

ここで紹介しますね。自宅で暮らしているのはミニチュアダックスのキングといいます。2019年現在8月で12歳になります。甘えん坊でやんちゃですが寂しがりあの子です。目にも白内障が出てきて立派な老犬になりました。子供の頃は室見川沿いの散歩道を全速力で走る姿を見た周りの人達もビックリでした。ダックスがこんなに早く走るのを見たのは初めてと驚いていました。おかげでちょっとしたスターでしたよ。もっぱら最近では散歩も嫌がりますけどね。

天然石ショップのお店で店番をしてくれているのが、20194月で御年6歳になる黒ネコちゃんのランボーです。この子は色々悲しい過去を持っている子です。毛並みの綺麗な甘えん坊で不愛想な子ですが癒されています。お店の周りには野良猫達が8匹程いるので病院の先生から病気の面から接触をさせない方が良いと言われ、外の散歩の時はリード付きでうろうろしています。所が脱走の名人でその度にほかの猫と喧嘩をして帰ってきます。中々の根性物ですが困ったものです。

以上が家族の二人です。1365日お店にご飯を作りに行くので全くの休みはありません、旅行や旅に出かける事も出来ませんが、笑えて来るほど楽しいのです。( ̄∇ ̄;)ハッハッハ このままずっと続くことを胸に生きて行きたいですね。皆さんも家族である可愛いペット君達と末永くお幸せにお過ごし下さい。